乙女企画クロジ☆第9回公演「きんとと」

仕事終わっていつものように渋谷に移動、副都心線新宿三丁目経由の丸の内線新宿御苑前駅で降りて歩くこと数分。無事に到着。前回は小山剛志さんの公演で来たのだけどあの時は結構迷った、というかこんなにとおいとはしらなんだ。
45分ころに到着したのだけど、当日券の列が結構できてて、列の横を予約で入ったときには半分くらい席が埋まってた。でもまあ、実際には15分押しくらいだったからまだまだ余裕だったな。
んで、きんとと、とは説明なかったけど舞台に映写されてたのが金魚だから、さかなの幼稚語である「とと」とあわせて金魚のことか。うろ覚えだけど、遊郭などの人々をさかなにたとえることもあったからおそらくはそういういみだろーなー、位に思ってたらまんまそれだった。
たぶん舞台は大正あたりの戦争景気に沸いてたころの遊郭が舞台でかなり手加減しない描写で暴力から性向まで舞台の上でがんばって表現してたと思う。けどまあ、若干引きました。というか、結構よくあることなんだけど、脚本家とか戯曲家がこれまでの作風やモチーフを否定するかのように極端な転換をしたときに、ファンなりお客がついてこれるか、という話で今回はそういう分水嶺になった気がする。
飛び込みで観たんならこんなことはいわないんだけど、おそらくここの劇団の客はこれまでの公演を観てる層が多いだろうし、声優としてのファンも多かろうからある程度、描写の枠というものをもっていると思うが、今回は明らかにそれを外れている。それ自体を否定しないし、もっときっつい表現するところも観たことあるけど、それは最初からそういうところだと理解、というか覚悟してるから受け止めることができるんであって今回みたいなのはちょっと迷走に見えなくもない。というか2時間10分もかけて延々と同じ場面をやるっていうのは冗長気味だった。まあ大正時代のイメージのひとつであるような「エログロ」みたいなのをやるのは文芸としてひとつの通過点みたいなもんだろうか。でも予想というかこの劇団の色ってどこにあるんだろ。
演技としては、表情やら発声などは申し分なくそれぞれの方がすばらしいものがあった。まあ舞台上で着物をはだけて、というかひん剥かれて襲われるなんてのを舞台のど真ん中でやられたもんだから最前列の人とか大変そうだ。下に着てるんだろうけどそんなん観てる側からすればむしろ困るよ。まあ、舞台が高めだったから私の席からは陰になってたけど、後列の高い位置から観てる人は丸見えだったろう。ちょっと引いたよ。個別でいえば、毎度毎度のコンプレックスの塊みたいな人物を演じられる福圓美里さんはほんとにすごい。というか演技に対して手加減がない。必要なら脱ぐのも殴られるのも辞さない覚悟が伝わってくる。あんだけ人気のあるどちらかというと純真なキャラクターの多い人なのにすごいなあ。遊郭の亭主はなんか金に執着する浮浪雲みたいで面白かった。しかし金に執着する浮浪雲って一番大事なところが抜けてるような。まあ華族の超然としたすべてを見下していてそれでいてそれに一切の疑問を抱かない空虚さは出てたと思う。あとは、男娼のひとの腹とか胸の筋肉すげえ。あれって小姓としてはどうよ。ヘブン状態だな。
全員がレベル高いんでかなり見ごたえがあるんだけど、台詞を何箇所か噛んでるところが気になった。まだ半分もいってないとはいえ、修正してほしい部分ではある。一瞬噛んだ上に台詞が飛びそうになっているのがあったけどなんとかつないだのはあぶなっかしいったらありゃしない。折檻のところですが。
脚本としてはなんというかわかってて書いてるかどうかわからない部分だけど、時代考証が若干甘い気がする。というか言葉選びが現代と混じってて違和感。英語とかはまあモダンな文化だろうけどそれでも使いすぎ。全員がそろいもそろってコンプレックスもちという、この世の澱を煮詰めたような遊郭という場を選んだのはいいけど、奇麗事の対義語ってヨゴレじゃなくて普通だとおもうんだよなあ。なんかこう進む方向を変えようとしたら後ろや横じゃなくて下を選んじゃったみたいな。ここの脚本というかなんというか途中で幸せそうな場面が出ると絶対そのあと不幸が待っているみたいな気構えができてしまってて観てて痛々しい。まあ、感情の爆発する場面の演技がウリなのかもしれないしその意味では福圓さんにあっているのかも。とはいえ、こないだのすげえ偏向した学生運動やら朝鮮やら中国の報道を礼賛するような舞台といい今回といいなんか思想にはまってなきゃいいけど。もっと軽い演劇でも見に行くか。コメディとか。