劇場版CLANNAD

チネチッタにレイトショーで観に行ってきました。8時15分というレイトショーの割に早い時間なもんで会社終ってすぐに帰宅して自転車換えてそのまま出発。出発前に席の予約だけはやっといたので、着いてからは余裕あった。というか先にラゾーナのmagmag寄ってきららの単行本を二冊ほど購入。なんか10月から一周年記念とかでKRコミックスフェアするらしい。買わんで良かったかな?
チネチッタでは席について見回すと3~40人ほど居た。結構いるほうじゃないか、とおもっていたら渚役の中原麻衣さんの声で会場案内が流れる。これは部隊挨拶に来られたからでしょうか、それともここから既に放映入っているのかわかりませんが、本編開始。やたらとピントのずれた古い映像で不安になったけどこれは演出としてそうなんだろうと思う。そう出なければ文句の一つも言いたくなるわ。
こっからはネタバレだらけで行きます。
本編に関して言えば、原作の知識は0であることと前情報としてはTVCMくらいという前提でひとこと。古い。演出、シナリオ、キャラクターがすべて古い。古いという事それだけで悪いとは言わないし、古いということはそれ自体歴史があるという事ではあるけど、この作品に関して言えば古臭いの部類に近い印象。なんか最近MXでやってた明日のジョーみたいだな、とおもってたらこの監督さんは明日のジョーのディレクターなのね。意外と自分の見る目に感心するが、正直言ってこの作品は古くてくどい。思った通りの展開でヒロインが作中で亡くなる事で感動を呼び起こすなんてもんはむしろあきれてしまった。まあ似たような漫画とか観過ぎなのかもしれんけど、病弱ではかなげなキャラという時点でああ、このキャラクター死ぬんだな、というか死ぬ為に出されたキャラなんだな、と思うとむしろ怒りすら感じる。ストーリーのために死ぬというのはある意味リアルと言えるかもしれないけど、死ぬ為にキャラを作るなんてもんは感情の押し売りだと思う。
そういう意味では文化祭のところまではくどいながらも観てて面白いと思えた。けどそれ以降はキャラの死に様を彩る為だけ時間でわざとらしいと感じてしまってもダメでした。時系列がよくわからんのだけど、朋也は渚の死後五年も仕事もせずにふらふらしてたのか?赤ちゃんが生まれてすぐ渚が死ぬ所までは間違いないんだけどその後がよくわからん。結局のところ立ち直り方も強引だし、そんなので立ち直るならもっと早くやっておくべきじゃないか。この作品にまともな大人は結局父親だけ、という結論でいいのだろうか。家族という絆を信じれない主人公が疑似家族的な仲間達に支えられて立ち直る、というならまだしも子供にあって立ち直るっていうなら、それまでの時間はかなり無駄だったようにしか思えない。子供がそれなりに成長するまで必要だったという意味はあるだろうけど、それでも子供の大事な時間をほったらかしたという事実についてはまるで触れられてないんだからなんかどうにも欲求不満だ。TVシリーズではどうなるんでしょうか。