death note劇場版前編

いつものごとくレイトショーで見てきた。いつも中央通路に面した足を伸ばせる位置に席を取っていて、それより前の席にほとんど客が居なかったので、そんなもんかなと思ってたら自分より後ろの席はほとんど埋まっててびっくりした。どうでもいいはなしだけど
感想としては、思ったよりも面白かった。まあ理由は以下のようなもんだろう。

  1. 勝手に脳内で説明補足していた。
  2. Lがかなりそのまんまなキャラクターしていた。
  3. そもそも期待していなかった。

あとは響鬼さん*1が出てたことか。

しかし理由を書いてみると逆の意味での問題点が浮かんできた。要は作品の面白さはあっても原作の映画化という点ではかなり疑問が残る。ライトにまったく魅力を感じなかったということ。漫画の中では東京大学物語ばりの頭の回転の早さを圧倒的なテキスト量で表現していたのだけど、作中でまったくその描写が無い。ぶつぶつしゃべれとは言わんけど、もっと演出で時間を稼ぎながら内心の理論をもっと視聴者側に伝えるべきだと思う。実際漫画を読んでいるからこそ分かる部分は多分にあるし、なにより魅力がない。そもそも模試全国一位な上にライト自身がその実力による自信の塊みたいなところをみせてくれないと、一体どこからそんな確固たる自信が出てくるのか分からん。どうも客観的に見たら映画中のライトはただの妄想狂にしか見えん。そういう意味でもリュークに最初にあったときの「ぼくほどの優等生はいない」宣言は必要だったと思う。
逆にLはまんまな感じで見てて安心できた。途中で気づいたんだけど、ライトが出てないシーンがすごく自然な流れに見えていたのもそのせいだと思う。ワタリとLはまんますぎて吹きそうになった。後編はどうみてもLがライトに殺されるところまでが精一杯だろうなあ。もうちょっとライトの優秀さを言動でみせてほしい。冒頭の司法試験合格なんてすごいのは分かるけど具体度が足りん。普段が馬鹿っぽいしなあ。とにかく後編を見たくなるくらいにはよく出来ていた。
映画のオリジナルキャラの詩織はまあ居てもいいかなくらいだったけど、早いうちから弥海砂の存在を作中で示していた以上、どう考えても前編中に死ぬんだろうな、と思ってた。死んだけど。うーん実際なあ、ライトはある意味聖人的なところがあって個人に執着しないところがあったから詩織の違和感は最後で辻褄があった気がした。自分以外はすべて利用すべき存在という達観。それが一つの魅力ではあるからそこはまあ評価できる。でも映画の描写という点ではなんかもう急すぎてわかんね。ミスディレクションという風にみえず単なる演出失敗だよな。ここらへんも漫画の方を見ていること前提かも知れない。
後編は第二キラ登場からか。ラストでライトとLの邂逅シーンは小道具、演出ともに凝ってて後編へのつなぎとしては上々だったとおもう。特にライトが偽装時に食べてたポテトコンソメ味をこれ見よがしに食べながら現れるあたり口では協力を表していながら内心はまるで反対のことを考えているという、宣戦布告に近いことやってるし、後半こそは騙し合いの応酬になってくれるとおもう。タイトルコール終わってからの予告が意味深だったけど、どうもオリジナル展開らしいのでどうなることやら。まさかキラがLに捕まるなんてとんでも展開にだけはならんでほしい。
どうでもいいことだけどLがmacをそのまんま使ってるし、レイはどうみてもあれはIBMだな。ポテトチップとかは架空っぽいのつかってるのにそこらへんは直球勝負でやんの。あとロケ地は福岡っぽいけど。もしかしてあそこかな。