民度とやら

大抵、人の批評するやからは自分が良く映る鏡を持っているようで、自分の行いがどれほど滑稽かわからんらしい。基本的に日本人の文化的風潮とやらは他者の存在が価値基準の多くを占めていて、他人にどう映るかを非常に気に病むものだ。
「人の振り見て〜」ではないが、人を見るということは自分が見られることと同じことであるとか思ったりするので過剰に丁寧になったり弱腰に見られるのだけど、本来それらは相手を不快にさせないための気遣いであって、逃げ腰のそれとは明確に違うはずであるのに世界から見ると日本人はそういうものらしい。まあ、文化風潮の違う連中にそれを押し付けるのは傲慢と言うものであるが、お互いにそれらを理解することが友好の一助になることは間違いない。少なくとも友好年なんぞを声高々に謳っているからにはそこらへんの努力を要求してしかるべきだろう。
個人として評価されることを好むくせに、個人でない集合としてはなにをやっても許されるとか思ってる連中は羞恥心の方向がどこに向かっているのか聞いてみたいものだ。