空の境界小説読了

そういえば、去年からだらだら読んでた空の境界をやっと読了。そんなわけだから今更感想文。
前に映画観に行った時にも書いたけど、この作品は読者を信用してねえな、というのが印象。読者が勝手な解釈をしたり自由に感じたりすることを極端に嫌ってる気配を感じる。作家として、自分の意図した感情を読者に植え付けるのは喜びかもしれんけど、そんなに強制しなくてもいいんじゃなかろうか。どんなにやったって作者と同一な精神性を持つ訳でない不特定多数の人間を対象とする以上、意図しない感想をもたれるのは仕方ない、割り切ってそこらへんに自由度を持たせるのが作品世界を広げる手法じゃないか、と思うんだけど、どうもこの作品ではそれを許容しない雰囲気と許容させない作りがある。
具体的に言うと、よっぽど無能な作者でも無い限り、作者というのは作品世界の上から見れる視線を持った神様のような存在であるべきで、そこで読者にどれだけ情報を与えて、どこまで与えないかを操作することで読者の感情を左右させるものだろう。しかし、この作品の場合終始、神の代弁者たる知識をもった人物が分かりやすくもない、というか無駄に知的ぶった口調で説明してくださる。謎は全て解く。それを理解できるかどうかはしったことではない、少なくとも勝手な解釈の余地がないくらいには情報の押しつけをやってくれる。分かってほしいじゃないくて押し付けがましい知識の押し売り状態で世界を誤解させることを許さない。凄く狭い世界で完全性を保とうとする息苦しさを感じる。もっと穴があっても読者を許容する表現はできないものか。
勘違いしないでほしいのだが、世界観に穴が無い、と言っているのではない、穴が無いんじゃなくて穴がある部分に人を近づかせない、がちがちの檻を作っているというのが近い。
文庫の解説の中にもあったが、作者の人がキャラに感情移入したりキャラが動いている、という生き生きした活動感はまるで感じないように作られていると思う。ただひたすら箱庭でお人形を自由にいぢっているだけで、その人形に意思がない。設定のためにキャラが居るんであって、キャラが居て世界が動くことは無い。読者は観客であって参加者じゃないらしい。
しかもその傾向はご丁寧に人物の視点を変えてまで補強してくれるから、端役に至るまで徹底している。それが面白いか、と言われると私にとってはさっぱりだったりする。好き嫌いの分別で言えば、こんな完璧な世界観なんぞはSF世界のきっちりした科学考証込みでやってくれ、としか思わない。こんなファンタジー色の強い世界でやっても違和感だらけで逆にうさんくさい。それに、ネタだけでいうならこんなもんはもはやオリジナルが存在しないんだから、そのなかでどれだけ完全性を主張したってなんの意味もない。見ただけで曲げるとか刺したり切ったりすれば死を作り出す線だとか、殺人衝動を持つ二重人格とか小ネタだけならいくらでも存在する。
よくも悪くもそれらのパッチワークでしかない伝奇系というジャンルではオリジナルはキャラクターに求めるのはしょうがないだろうけど、そういうのは否定しているように見える。そのせいだろうけど、今ひとつ面白さが分からない。面白くないとは言わんけど、どのキャラにも感情移入のしようがない。なにを楽しめばいいのかわかりません。
結局読者を喜ばそうという意思が感じられない、自分の世界を強固にかこった壁の内側に作り上げる楽しみがあるだけのような閉鎖的な作品でした。いまいち締めの言葉がみつからんがまあ二度も読まんだろう。