自己弁護

自分のことを客観的に見るということは難しく、現状を把握することすら比較論でしかなかなか理解できないものであるが、ニートな人たちは自分の現状を「理解」しているのだろうか。某有名ニート君は親が会社社長だかなんだかで「本当」に働かなくても食うに困らない。さらには、親が死亡していなくなってもある程度の期間もしくは死ぬまで、生活が可能という前提があるらしい。甘えの極致であることは間違いないけど、これこそ正しいニートだな、とある意味感心した。
それに対して、大抵のニートは親の存在を前提としている以上、期間限定的な状況であることは間違いない。就職してリストラに苦労している人を見て笑っているニートの連中は自分がそれよりも危ない橋の上に立っていることから目をそむけている。もちろん家庭環境は千差万別で前述のように就職者よりも安定した立場の人間もいるが、そうでない人間ほどこの現実から目をそむけている。つまる所自分を客観視できていない上に、誤った比較論で自分の優位を主張していることが往々にして存在する。まあ、そういうのが労働者から見ると神経逆撫でされている気になるわけであり、そういうのは決して自分を現状を把握しようとしない。
そんなことを考えた今日この頃。ニート羨ましいなーとは思っていない。いや、そんな。

追記

どうみても言い訳にしか見えないことを言うニートが多い。少なくともテレビにでてたニート君は簡潔かつ卑屈なところがなかった。いや見た目はともかく、なにかのためにニートをやっている、というならともかく、なにかをやりたくないというのを長々と書かれても説得力をなくすだけなんだけど。要は逃避。時間や休養が必要だ、という人たちはたとえニートの状態であっても言い訳はしないと思うんだが、ただのニートは自己正当化の塊だから余計鼻につくのだ。